今日は遊びの日。

毎日、「遊び」の気持ちを持って、暮らしたい。

「きょういく」と「きょうよう」と、ウダウダスイッチ

リタイア後を生き生きと暮らすために、「きょういく」と「きょうよう」が必要と言われている。つまり、「今日行く」今日行くところがあるということ、そして、「今日用」今日するべき用事があるということ。

でも、これってリタイア前でも言えること。特に週末。

平日は仕事で終わってしまい、何の予定も立てなかった週末。家事も一通り終えて、特にすることもない時。

せっかくの週末、家にいるのはもったいない。どこかに行こうか。

  〇〇がいいかな。・・・いや、初めての所に行きたいな。

  △△にしようか。・・・何か気がのらないな。

  じゃあ、□□か。 ・・・うーん、これも気がのらないな。

とかの日。こういう日って、最初の「初めての所に行きたいな」の段階で、なんというか「ウダウダスイッチ」が入ってしまって、その後自分を動かすのがすごく大変なんだけれど、それは私だけだろうか?

 

動かない自分をうまく取り扱うには、「近所の寺に行く」のがいい。

寺じゃなくても、神社でも喫茶店でもいい。あらかじめ決めておいたコースを20分程歩いたら、ウダウダスイッチがオフになることは、経験上分かっている。スイッチがオフになれば、不思議なもので、家にいる選択もできるし、行きたい所もすんなり見つかるのだ。

 

大事なのは「あらかじめ決めておいたコース」ということ。ここで、「どの道を歩こうか」と考えた途端、ウダウダスイッチがオンになって、「いつも歩いている道じゃん」「風景もいつもと同じじゃん」と動かない私が出てきてしまう。

 

若い頃の私だったら、ウダウダスイッチが入ったまま、終日家にいるだろう。そして、どこにも行かなかった事を寝る前に後悔しただろう。もしくは、気がのらないままどこかに出かけて、違う方に行けば良かったか?などと考えたかもしれない。

 

年を取って良かった事はたくさんあるけれど、自分の取り扱いがうまくなった事は、その中でもピカイチの事だと思っている。