石に刻まれた名前に思うこと。
約3か月前に、四天王寺の石舞台のことを書いた。こんなの。
四天王寺は聖徳太子が建立したと言われているけれど、石舞台が造られたのはずっと後の江戸時代。今あるのは1808年に再建されたもの。
石舞台の横には、再建に携わった人の名前がずらりと彫られている。
おそらく、当時は有力者だったのだろうと思うけど、今となっては知る人もいないと思われる。そう思うと人間の命は儚いものだと痛感する。
古代エジプトのファラオや平安貴族、江戸時代の大名、企業で功績を残した人も、大半は忘れられている。
家族にしても、祖父母までは記憶があっても、曾祖父母になると全く知らない。顔も名前も。
私が生きていた、ということも、死んで数年経ったら、もう誰も覚えていないはず。
ただ、「後世に伝わる」というのは、顔や名前だけではないと思っていて、例えば、その人の発言や発信、創造物が他の人に影響を与え、その影響が、目には見えないけれど後世に伝わっていく、というのはあると思っている。先人の魂のカケラは、この世の中に散らばっている。
そうは言っても、人の人生は短いもの。たとえ人生100年時代と言っても。
だから、何かを成し遂げられなくても、自分自身が「よく頑張った」とか「楽しんだ」と思えればいいじゃないか、と思う。
短い人生、好きなように生きたらいいじゃないか。他人に認められなくても、自分が満足していたら、それで十分じゃないか。