今日は遊びの日。

毎日、「遊び」の気持ちを持って、暮らしたい。

永遠の命はいらない。

松本零士さんの作品では、「銀河鉄道999」と「新竹取物語1000年女王」が好きだった。

 

永遠の命を持つ機械の体を手に入れるために、鉄郎を乗せて宇宙に旅立つ銀河鉄道999。

1000年ごとに地球に降り立って、地球を治める1000年女王。

 

どちらも、「永遠の命」「永い時間」をモチーフにした物語。

 

アニメーションを観ていた頃はまだ小中学生だったので、人が老いることや死ぬことについては、分かってはいても、表面的な理解しかしていなかったと思う。

 

当時読んでいた本は、『西遊記』や『水滸伝』。西遊記には不老不死の神仙が大勢出てくるし、水滸伝の登場人物は百八の魔星の生まれ変わり。

 

当時は「永遠の命」に憧れて、将来にはいろんなキラキラした出来事が待っていて、そのキラキラを追って永遠に生きたいと思っていた。

 

今、もし神様に、「不老不死にしたろか?」と言われたら、速攻断る。死ぬのは怖いが、永遠に生きるのはもっと怖い。

 

「二十歳に戻したろか?」と言われても、断るなあ。若い頃の(今から考えたらどうでもいい)悩みとか、(さっさと切ったらいい)人間関係などから脱出したのに、またアレを繰り返すなんてまっぴらだと思う。

 

年を取るって、若い頃に考えていたよりずっと、気楽で楽しい。

今までの経験や思索、気付きはそのままで、若い頃の元気な体が欲しい、そう考えると、機械の体を求める気持ちも多少は分かる。近い将来には、機械でなくIPS細胞で、永遠の体を得られる時代が来るのかしらん。

 

ただ、もし本当に命が永遠に続いたら、初期段階でいろんな事を経験した後は、人生に面白味を感じなくなりそう。本を読んでも音楽を聴いても、「以前に読んだ(聴いた)感じだなあ」と思ってしまうのじゃないかな。

そういうのを乗り切らないと、永遠の命は永遠の苦しみになりそうに思う。

 

永遠に続く毎日をどう楽しむか?これは、永遠でなくても、老い先の長い人生100年時代には考えるべきことなのかもしれない。