「丁寧な暮らし」というのになんとなく憧れてきたけれど、それは私にとって本当に憧れるべき生活なんだろうか? と、断捨離を進めるにつけ、思い始めた。
そもそも、丁寧な暮らしって、どんな暮らし?
ネットで調べてみたら、次のような例示があった。
私が思い浮かべる「丁寧な暮らし」もこの例示と同じような感じ。「手作り」「自然に優しい」「生活の一つひとつのことに時間をかける」というイメージ。先日断捨離した「重曹生活」もここに入る。
「丁寧な暮らし」って、一種の「文明への反動」なんだろうか?
私たちの暮らしは、炊飯器・掃除機・乾燥機の発明でずいぶん楽になったし、お店に行けば、挽いたコーヒー豆・パン・野菜やハーブ・果実酒・缶詰や冷凍食品が売られているので、いつでもすぐに買える。しかも、いろんな種類のものがあってバラエティー豊か。
これらが初めて発明された時は、特に女性たちはとても喜んだはずなのに、今はその反動なのか、「丁寧な暮らし」礼賛の風潮。
確かに、「手作りの楽しさ」や「おいしさ」はあるとは思う。手作りだと化学調味料なども含まれないので、「安心感」もあるかもしれない。
それを、「丁寧な暮らし」と表現したのが誤解の原因なのでは。一般的に「丁寧」という言葉は「良いこと」と認識されるために、「憧れ」の対象となったような気がする。
仮に、「手作りの暮らし」と表現したら、別に手作りなんて好きでもないし時間も無いよ、という人は「憧れ」とは思わなかったのではないだろうか。
断捨離をして思ったことは、私の場合、「良いこと」と世間的に思われていることは結構やってきたな、ということ。
それが、自分に合わない・向いていない、ということで、なんだか自分が「デキナイ人」みたいな気分にもなったりして、やり遂げようとか思ったりしていた。
今、改めて思うことは、
- 学生時代なら、不得意教科を勉強して、高得点を獲得する必要があったかもしれないけれど、今はやりたくなければ不得意分野を強化する必要は無い、ということ。
- 人生の時間は限られているので、好きな事、やりたい事に人生の資源(時間やお金、体力など)を投入しないともったいない、ということ。
手作りが好きな人が、丁寧な暮らしをするのは、素敵なことだと思うけれど、私は「手作り」よりも好きなことがあるので、そちらに人生の資源を投入していこう、と決めたのでした。