いつも思うのは、本って、物理的には、単に「紙に書いた文字列」なのに、読んでいる間は、文字列が表す世界に引き込まれる、ということ。
読み終わって周りを見渡すと、いつもの部屋、いつもの自分で、夢から目が覚めた感覚。本の中の出来事は、実際に経験したことではない。
「引き込まれる」というのは、脳が、文字に書かれた意味を理解して、それを二次元や三次元の映像に展開する力がある、ということだし、文字に書かれた感情を理解して、それを自分のことのように感じることができるということだと思う。
でも、何もないところから二次元・三次元の映像を創り出したり、感情を持つことができるのは、よほど想像力がある人でないと難しいのでは?
そう思うと、いろんな経験をして、いろんなところに出かけ、いろんな喜怒哀楽を経験した方が、文字の世界を映像化できるし、登場人物の気持ちが理解できる、ということ。
若い頃読んだ本を、年を取ってから再読したら印象が異なった、というのは、年を取るプロセスでいろんな経験をしたためだろう。
そもそも、作者が書いた文章を、正確に理解していないことも、きっとある。
西洋絵画を理解するには、象徴や寓意の理解も必要(例えば、犬が妻の夫への貞節を表し、赤い薔薇が殉教の血を表す、とか)だけれど、そんな風に、文章表現の中にも、比喩や、和歌における本歌取りのような表現が隠されている。本の注釈や解説を読むと、知識のある人はこんな風に読めるのか、と思ったり。
いろんなところに出かけて、いろんな喜怒哀楽を経験して、そしていろんな本を読んで、世の中のヒミツをもっと知りたいと思う、今日この頃。