今日は遊びの日。

毎日、「遊び」の気持ちを持って、暮らしたい。

2024年の読書を計画する。

2024年の大河ドラマ紫式部の人生を描く「光る君へ」なので、本屋には『源氏物語』関係の本が平積みになっている。

 

源氏物語』は、国語の教科書にあった『若紫』と、これも教科書の便覧にあった光源氏系図にはまって、原文を全文読んだものだった。

 

いづれの御時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。(『源氏物語』桐壺)

桐壺の冒頭は、今でも時々声に出して諳んじる。古文は声に出して読んだ時の言葉の流れがとても美しいと思う。また、古文を読んでみたいなあ。

 

 

それと、先日、高校時代に愛読していた『人生論ノート』(三木清:著)を再読しようとしたら、集中できない以前に、文字が脳を滑っていくようで頭に全く入らなくて挫折してしまった。約40年前に読めていた本が、なぜ今読めない?

 

 

ここ5年、読書記録を「読書メーター」というアプリに登録している。

「読書メーター」アプリを使う。 - 今日は遊びの日。

 

ホーム画面に表示される当月と前月の冊数は、だいたい毎月15冊程度。「読んだ本」に5年間でのべ600冊登録しているので、平均月10冊。この5年を通じて、そこそこの量は読んでいる。

 

でも、「読んだ本」の一覧にざっと目を通してみると、さっと読める本ばかり。結局、量は読んでいても、実は「読みにくい本を読み慣れていない」状態になってしまっていることに気がついた。

 

ああ、だから、読みたい本を買っても積読になっていたのか。

 

「読みたいから買う」と「積読になる」の間に、「理解できなくて読めない」という事象があったのに、「時間がないから読んでいない」と思おうとしてきたような気がするなあ。

 

最近、本に線を引く方法で、理解に時間がかかる本も少しずつ読み進められるようになってきたけれど、こういう努力を続けていかないと、「読みたい本」を全く読めなくなりそう。

本に書き込みをするかどうか。 - 今日は遊びの日。

 

 

という訳で、2024年は、読みたい本を次の4つのカテゴリーで管理することにした。

  • 古文(①和歌、②日記・物語)
  • ③哲学・思想
  • ④その他(小説、ビジネス書)

課題図書として、①を7冊、②は14冊、③は6冊、計27冊リストアップした(上下巻あるものは2冊としてカウント)。大まかに読む順番も決めておく。

 

①~③の分野では、27冊以外にも読みたい本は多々あるけれど、欲を出さず、目移りせず、ゆっくり読んでいくつもり。焦って超特急で読んでも、結局消化不良になって、再度「読みたい本」に上がってきそうだし。そう、3匹のこぶたでいうなら、レンガのお家を建てましょう、といったところ。

 

年間27冊は、今までの約4分の1の読書量なので、達成は容易かもしれないし、もっと時間がかかるかもしれない。そのあたりはやってみないと分からない。変に「目標達成」に邁進するあまり、急いで冊数だけ稼ぐようなことにならないように注意したい。

 

 

 

この年になると、人生の時間が有限であることを痛感する。

 

目標冊数はともかくとして、月1冊、「読んで良かった」と思える本を読めたとしたら、年間12冊。老親の状況と同じだとしたら、私に残された年数はあと25年。計300冊かあ。多いんだか、少ないんだかよく分からないけれど、先日読んだ『百冊で耕す』(近藤康太郎:著)の3倍ではある。

『百冊で耕す』を読んだ。 - 今日は遊びの日。

 

 

300冊読む中で、「私の100冊」を見つけるのもいいかもしれない。

読む本の、せめて一部は自覚をもって厳選していきたいと思っている。