今日は遊びの日。

毎日、「遊び」の気持ちを持って、暮らしたい。

『「ひとり会議」の教科書』を読んで思ったこと。

Webサイトで、「月に1回、喫茶店で『ひとり会議』をして、今月の振り返りと次月の予定をたてる」という内容の記事を読んだ。そのおかげで、生活がとても充実しているとのこと。

 

ふと、そういうことは仕事ではしているけれど、プライベートではしていないなあと思ったので、図書館で『ひとり会議の教科書』という本を借りてきた。

 

話が変わるけど、断捨離をする中で、「思い立ったらすぐ買う(そして使わない)」ことに大反省したので、現物を見ていない本は、なるべく借りるところから始めようとしている。

Kindleでポチるとすぐ入手できるけれど、図書館で借りると時間がかかる(休日に図書館に行ったり、本が無ければ予約するとか)。その間に熱が冷めて興味がなくなることもあるので、「物ややることを減らす」という観点では、良いように思う。

 

話しを戻して、この本を読んでみると、「ひとり会議」のやり方は次のようなもの。

  1. 今直面している問題をすべて書き出す。
  2. それぞれ、「どうなればいいか?」の質問の形にする。
  3. 「どうすればそうなるか?」の質問の形にする。
  4. それぞれの答えを「〇〇する」の形にして、スケジュール帳に書く。

 

これって、仕事の会議では普通にやっていることと同じ…。

今までならそこで「あぁ、仕事と同じか」と興味が無くなって、おしまい。だったのだけど、その時思ったのは、仕事を進めるために普通にやってきた方法を、なぜ自分のためには適用しなかったのだろう?ということ。

 

ToDoリストを作ったり、手帳に予定を書くのはしていたけれど、根本となる項番1~3は、頭の中では考えたとしても、紙に書くことはしてこなかった。

 

理由として考えられることを書き出してみた。

  1. 仕事と比べて、自分のことを劣後してきた?
  2. 仕事は書き出して考えるくらい困難だが、自分自身のことはそんなに考えるほど難しいことではないと思っていた?
  3. 仕事はそういう風に取り組むものだと思っていたが、自分自身に適用することまで思いつかなかった?
  4. 自分自身に起こる大抵のことは解決できていたので、仕事のように取り組む必要性を感じなかった?
  5. 自分自身に適用しないと積極的に決めた訳ではないが、無意識の結果として適用してこなかった?

 

いろいろ考えられるけれど、自分に一番近いのは5かなあ。

 

上から順に思いついたけど、よーく考えていくと、1より5の方が適切な気がする。書き出したことで理由を深掘りできたかなと思う。

積極的に判断しなくても、それなりに過ごしてこれた事自体は幸せなことかもしれないけれど、もう少し自分自身に注意を向けるのがいいかも。

 

「ひとり会議」そのものというより、自分の気持ちを「書き出す」と、頭で考えるより深く考えようとすることに気付いたのは、とても良かったと思っている。