今日は遊びの日。

毎日、「遊び」の気持ちを持って、暮らしたい。

『百人一首』を読む。

子どもの頃、百人一首のかるたで遊んだ時は、歌の意味を理解するというより、上の句を読んでいる間に下の句のカードを探す遊び、ただそれだけのものだった。

 

そもそも、和歌や詩、俳句、シナリオなどは、小説と比較すると情景や心情の文字化度合が低い。どこまで読み取れるか、読み手の想像力に依存しているように思う。

 

今までは、そういう、情景や心情が分かりやすい小説などを好んで読んできて、和歌や詩は「よく分からない」と思っていたけれど、ここ最近、共感することが増えてきた。

 

一定の経験量を積んだ結果、文字化されていないことをよりリアルに想像できるようになった、ということなのだろうか。

 

という訳で、今百人一首を読むと、自分の経験と重ね合わせて、じーんと来る和歌が多い。

 

例えば、有名な小野小町の歌。

「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」

 

年を取った今読むと、あっという間に過ぎた日々や後悔の念がじわーっと湧いてきたり。恋や離別、風景などに感じる人間の感情は、昔も今も変わらないとしみじみ思う。

 

 

 

ちなみに、私が読んでいる本は、こちら。

 

古典を読む時には、解説がどんな風に書かれているか、も大事な要素だと思う。だいたい「古典」と言われる本には複数の書籍が出版されているので、大きめの本屋で見比べて買っている。

 

翻訳本は、訳者による表現の違いも大事な要素。

『椿姫』を読む。 - 今日は遊びの日。

 

角川ソフィア文庫は、解説が分かりやすいものが多い。

ただ、紙質は岩波文庫などの方がツルツルしているので好き嫌いが分かれるかもしれない。私の場合、ちょっとざらっとした感触の手触りや、本自体の軽さが気に入っている。

 

古典はまず角川ソフィア文庫を見てから、他のを確認する感じです。