今日は遊びの日。

毎日、「遊び」の気持ちを持って、暮らしたい。

「ボンジュール!辻仁成の春のパリご飯」を観て。

今朝10:30からの再放送を観た。

離婚によりシングルファーザーとなり、自分の前では決して泣かない息子さんが眠りについた後に見に行くと、抱いていたぬいぐるみが濡れ、息子さんの寝顔も涙で濡れていたそう。その時、母親の代わりもしてしっかり育てていかないとと決心されたそうです。毎日美味しいご飯を作って一緒に食べよう、と。

この番組は、もう大きくなった息子さんに作るご飯、そのための買い物、パリの街並みの紹介や、音楽活動の様子、子育てが終わった後の自分の暮らし方の模索が描かれています。

ご飯を作る、買い物に行く、という日常生活を過ごしながら発信されるいろいろな考えにとても共感できるので、最近はツイッターとブログを毎日読んでいる。辻仁成さんの小説は読んだことがなく、何がきっかけか忘れたけれど。

番組で辻さんが言っていたように、買い物、ご飯作り、掃除、洗濯、暮らしていくにはたくさんのことをしないといけない。その合間にいろいろ活動されているのを、私も見倣いたいと思っている。

 

ところで、パリで食材を買い物する時、パン屋・野菜屋・肉屋など、それぞれの専門店で、お店の人と会話しながら買い物されている様子が放送された。

今日本ではほぼスーパーマーケットでの買い物だけど、昔はそれぞれのお店で買っていたなあと思う。一つの建物に複数の専門店が入っている市場もあった。母が、一つひとつのお店で、豆腐(水を張った大きなケースから取り出して白いプラスチックの入れ物に入れてくれる)、卵(個数指定で買うと新聞紙で包んでくれる)、味噌(量り売り)などを買っていたのを見ていた記憶がある。

この番組を観ていると、専門店での買い物は素敵だな、家の近所にないかしらと思うけど、冷静に考えると、時間はかかるし、いくつも買い物すると最後の方は重いし、スーパーマーケットの方が便利は便利。

今は本当に便利な時代になった。スーパーマーケットもそうだし、宅配もそう。炊飯器はあるし、洗濯は全自動で乾燥もできるし、掃除もルンバにお任せできる。家事にかかる労力は、私たちの母親世代と比較するとかなり軽減されたと思う。

その一方で、「丁寧な暮らし」という概念が出てきて、ご飯を土鍋で炊いたり、味噌を手作りしたり、糠床をかき混ぜたり。

便利な時代に手作りの方向に向かう流れができるなんて、無いものねだりなのかなあと思う。いや、「無いものねだり」というより「いろんな選択肢ができた」ということかな。私は、家事は少しでも楽をしたいから、「丁寧な暮らし」というより「楽チンな暮らし」を目指して試行錯誤したいと思っている。

 

パリご飯、ツイッターでは、次回作も撮影中とのことなので、とても楽しみにしている。