小学校・中学校ともに、「体育至上主義」の学校で育った。
だから、体育の授業にはとても力を入れていて、例えば長距離走の授業の後、順位・名前・タイムを全学年の全クラスに掲示していたし、夏休みの半分くらいは強制的にプールの授業があったなあ。
そういう状況だから、運動ができる生徒は、クラスで力を持つし、モテる。
クラスに君臨しているボスのような感じだった。
それが。
中学生も後半になると、評価基準がだんだん変わってきた。
かわいい女子が、男子からちやほやされ始める。
今までボス的な存在だった女子が、好きな男子を可愛い女子に奪われて涙する場面も。
評価基準が、「運動ができる」から「容姿がいい」に転換したのだった。
クラスの力関係が逆転するのを目の当たりにして、衝撃を受けたことを覚えている。
その時代・年代の「評価基準」に合致していると、パワーを持ったり、素敵だと思われたりするけれど、その基準がずっと基準であり続けるのか、また、自分がその基準に適合し続けるのか、というのは分からないよね。
「運動」「容姿」「若さ」「収入」など、いろんな基準があるけれど、そういうのをあまり気にせず暮らしてこれたのは、昔、評価基準の転換を見たおかげかもしれないと思っている。